
三郷市
姿勢改善トレーナー
キヅスポ 木津です
ここ最近、悲しいニュースが多く飛び込んでくる。
落語の三遊亭円楽さんが昨日
お亡くなりになりました。
そして、今日
プロレスラーのアントニオ猪木さんも
お亡くなりになりました。
落語のことは詳しくありませんが
そんな私でも顔と名前が一致する
あの紫のおじさん。
そして、子供の頃から
従兄弟の影響でプロレスを観て
育った私には
猪木さんの死があまりにも
大きいです。
ハルクホーガンとの
激闘でアックスボンバーから
鉄柱に頭を激突し
まさかの
ベロ出し失神事件。
未だその時の映像が
脳裏に植え付けられています。
そして猪木さんといえば名言が多い。
「出る前に負けることを
考えるバカがいるかよ!」
「馬鹿になれ。
とことん馬鹿になれ恥をかけ!」
「人は歩みを止めた時に
そして挑戦を諦めた時に
年老いていくのだと思います」
「子供に夢を持たせたければ
大人こそ夢をもて!」
個人的にはどの言葉も
とても深く突き刺さります。
最近お客様と話していて
ハッと気付かされたことがありました。
それはなぜ
私がこんなにも
必死に走るのか?
なんで未だに
野球が上手く
なりたいと努力
するのか?
その理由がわかったのです。
それは私が
コンプレックスの塊
だから。
さか上ること、私は高校の
野球部時代に大きな挫折をしました。
それは
レギュラーを諦めたこと。
もちろん我が野球部には
能力の高い部員が多く在籍していて
レギュラー争いも
激しかった。
そんな中でも私は
2年生の秋の新チームで17番をいただき
3年の春の大会では11番を
つけさせていただきました。
それでも情けない話、
公式戦の出場は1打席のみ。
春の大会で代打で起用され
ストレートを打って
ショートフライ。
これが唯一の実績です。
そして、この大会が終わる頃は
新たに新入部員が入ってくる訳ですが
センスのある後輩が何人か
いる訳です。
そこで私は
自らレギュラー争いから
身を引いた
のです。
その理由としては、
自分のような中途半端な選手は
裏方に回って
チームのサポートに
回った方がいいのではないか・・・
そう考えたのです。
でもこれはただの
キレイゴト。
本当は、
「上手い1年生が入ってきたから
自分の居場所がなくなるな・・・
しかも試合に出ても怒られてばかりだし
練習もキツイし
一層のこと、裏方に回って
サポート役に徹した方が楽だよな。」
こんな思考になっていたのです。
自ら自分との勝負に
逃げたのです
そして迎えた最後の夏の大会。
最後のアウトを
アルプススタンドで見届けた私は
大粒の涙を流しました。
それは3年間仲間と過ごした苦しい日々が
走馬灯に脳内を駆け巡ったからです。
この気持ちに嘘偽りはありません。
ただ、引退して一つだけ
心に引っかかることがあります。
それは、最後の最後で
逃げたこと。
「もしかして、最後の夏の大会の背番号を
諦めずに、
残りの4ヶ月苦しんでいれば
背番号を貰えたかもしれない。。
「いや、例え背番号がもらえなくとも
自分の中でやりきった!!!」
こう思えたのなら
本当の悔いは残らなかった
今でもこんなことを
心の奥底で思うのです。
だから、私は今でも
その時の自分を超えたいと
日々、目標に向かって走ったり
野球にも真剣に取り組んでいるのです。
そして、
こんな45歳のおっさんでも
やる気になってチャレンジしてみたら
できるんだな。
そんな私をみて
同じような年代の方、
若い時、何かを置き忘れてきた方。
年齢には負けたくない!
そう強く思える方。
そんな方々の希望になりたいのです。
こんな熱い気持ちでいる私なので
時には厳し事も
言ってしまうかもしれません。
でも、
何かを掴むには
苦しい時もあるのを知っているから。
それを乗り越えた時に
本当の自信がつくのも
わかっているから。
最後に猪木さんの名言でもう一つ
素敵な言葉を紹介します。
「コンプレックスをバネに
飛躍することが
できるのではないか」
まさに私に向けて言われている気がします。
ご冥福をお祈りします。
Profile
私の使命は、運動を通して人々を健康と笑顔にすることです
現代人の8割以上が一日8時間以上も座り続けています。このことで体幹筋群が使われなくなり、その結果不良姿勢を招き、腰痛や肩こりといった慢性的な疾患を患っております。
そこで運動が必要になるわけですが、残念ながら”いわゆる筋トレ”では改善されません。過去の私は筋トレを週に6回行っていましたが、腰痛と肩こりに日々苦しんでいました。
そこで行き着いた先が【TBP理論】です。その結果現在では慢性的な痛み一切ありません。
さぁ、次に変わるのはあなたです!